年収1000万ママ 仕事はつらいよ

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バイリンガルの育て方- 5歳の娘の英語力

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英語ペラペラな娘がうらやましい

5歳の娘は香港で生まれて、4歳半まで育ったので、自然と日本語と英語のバイリンガルになった。生まれた時からフィリピン人の住み込みメイドが家にいて、欧米人の多いエリアに住んでいたので、1歳頃から言葉を覚える際には英語と日本語を同時に話し始めた。初期の頃は、apple、bubbleなど、日本語よりも英語の単語の方が多かった。

3歳前にインターナショナルの幼稚園に入園する頃には、両親や日本から遊びにくる祖父母には日本語、フィリピン人メイドとお友達と幼稚園の先生やクラスメイトには英語と、きれいに使い分けができていたように思える。

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うらやましい。わたしなんか、普通の日本人の同級生たちと同じく中学1年生で初めて英語を習ってから、ビジネスで普通に使えるようになるまで20年もかかったのに。

私の両親は海外に住んだ経験がなく、普通の日本人家庭に育ち、普通に日本の教育だけを受けて育った私は、ティーンエージャーの時から、英語を話せるようになるのが夢だった。学生時代は、帰国子女の友達に憧れて、がんばってバイト代を貯めて夏休みにアメリカは短期語学研修に行ったりしながらTOEFLという難しい英語の試験を何度も受け、やっとの思いでアメリカに1年間交換留学することができた。アメリカ人に混じって教授が何言ってるんだかわからない授業を受け、必死で勉強したが、それでも語学の才能のない私は、1年でペラペラになることはできなかった。卒業後、外資系のPR会社に就職し、4年間、外国人の上司やクライアントの間で揉まれ、さらに学費を貯めて、かつ教育ローンを2つも組んでイタリアの大学院に進学。ヨーロッパ人やアジア人留学生に混じってしょっちゅう英語でディスカッションやプレゼンをさせられ、帰国した際にはTOEICほぼ満点の985点になっていたが、その後就職したファッションブランドでは英語を話す機会がなく、3年後に香港に働き始めた際には、外国人の中日本人1人という環境で英語は書くのも聞くのも話すのも本当に苦労した。ビジネス英語が板についたのは香港に移住して2-3年目の30才過ぎた頃だった。

今までのキャリアの中で、英語が流暢じゃないせいで、悔しい思いも何度もした。我ながら、がんばったなぁとよく思う。

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話を5歳の娘に戻すと、先日彼女の翻訳力に感心してしまった。

娘が自分の好きなYouTubeチャンネルの動画の内容を私の母に説明していた。アメリカ英語を話す女の子2人組が作っている動画シリーズで、ディズニーのアナ雪のお人形を使った人形劇だ。

「ばあば、あのね、エルシァとアーニャが"It's just bunch of bananas" って言ったら、おさるさんが"it's my life!"って言ったんだよ!」と娘。何がそんなに面白いのかはわからないけど、よっぽど動画の内容が気に入った様子で楽しそうに話している。

私は横で娘の話を聞きながら、"it's my life"を"私の生きがい"と頭の中で訳していた。すると、娘が英語のセリフを母に説明している。"バナナは僕の元気、ってことだよ!"

なるほど。子どもとサルのお人形の会話だもんね。「生きがい」よりも「元気」の方がしっくりくる。そうやって、自然に英語を日本語に転換できるんだな。言葉の直訳じゃなくて。

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また別の日。

私がコンビニで買ってきたお菓子を食べている娘。最近ひらがなが読めるようになったので、パッケージに書いてある"ひとくちりんご"を声に出して読んだ。そしてすかさず、"one-bite apple(ワン・バイト・アプル)"と言う。

う〜む、完璧な訳。日本語を読んだ次の日瞬間には英語が口をついて出る。いいなぁ、バイリンガルな子ども。

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娘が英語を話さなくなった

そんな風に今はよく英語を口にする娘だけど、去年の夏に香港から日本に引っ越してきて、地元の保育園に通い出したとたん、ぴたっと英語を話すのをやめて、そのまま半年間一切話さなくなってしまった。

保育園に入る前は、家族とは日本語しか話さないけど、1人でおままごとをする際は英語でぶつぶつ喋っていたし、ディズニープリンセスの歌(アナ雪のLet it goやアラジンのA whole new worldなど)も英語で歌っていたのに。むしろ、香港ではお友達とほとんど英語で遊んでいたので、日本の保育園に馴染めるか心配したくらいだったのに。入園式1週間で、ぴたりと英語を話さなくなってしまった。子どもの順応性ってすごい。

週末に見せるディズニーチャンネルは副音声で英語で見せていたし、毎晩寝る前にiPadでみる動画も英語のものが多かったので、英語のインプットは続けていたけれど、アウトプットは一切なくなってしまった。私が英語で話しかけても気持ち悪がる。それはそうだよね、香港にいる時はストイックに"両親とは日本語のみ"を貫いていたのに、ママにいきなり英語で話しかけられたらやだよね・・・。

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そこで、娘が英語を忘れてしまうことを心配した私たちは、家庭教師を雇うことにした。卒業大学の集まりで留学生とよく交流している先輩に相談して、いい人を紹介してもらった。去年大学を卒業した香港出身の男の子。英語教室でアルバイトをしていたこともあるという。

さっそく毎週土曜日の午前中に1時間半きてもらうことにした。とても感じのいい青年で、5歳の子ども相手に、絵本を読んだり、ゲームをしたり、忍耐強く話しかけてくれる。娘も嫌ではなさそうだが、「やだ〜恥ずかしい〜」とか言って、まともに英語を話そうとしない。先生に英語で質問されると、単語でぽつぽつ答えるだけ。

毎週そんな感じだったが、1ヶ月たつとだんだん、「英語やだ」と言って嫌がるようになった。先生が来てもふざけて逃げ回って、まともに相手をしようとしない。それでも、先生はCDつきの絵本を持ってきてくれたり、ダンボールで工作しようと提案したり、なんとか娘の興味を惹くように努めてくれた。

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また突然話し始めた

娘のブレイクスルーは、家庭教師が来るようになって2ヶ月後のクリスマスの次の日だった。

朝から、前日にサンタさんにもらったアナ雪のレゴのお城をパパと2人で組み立てていた。先生が来る時間になったので、私が"続きは先生と一緒にやって"と言い、先生もレゴやガンプラが得意ということで張り切って取り組んでくれた。するとどうだろう、娘が普通に英語を話している。"This is for Elsa." "Yes! We can put this here." などなど。

お城をはやく作りたすぎて、英語で話すのが恥ずかしいなんてどうでもよくなったらしい。大人にとってもかなり複雑で大きなお城を完成させるのには、先生と協力するしかないし、協力して作業をするには英語を話すしかない。

やっぱり、言葉は目的じゃない、手段なんだ!と納得。

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それ以来、毎週末先生が来るたびに、普通に英語を話して楽しそうに遊んでいる。

家で1人で遊んでいる時もまた英語を話すようになったし、2歳でまだろくに口がきけない妹にも時々英語で話しかけている。

不思議。彼女の言葉の壁って、ちょっとした精神的なしこりみたいなものだったんだろうな。

 

そんなこんなで、娘に負けないように、英語の絵本を読む時はLとRの発音に気をつけてます。Go ladies!